さかもと森のがっこうの代表 ぽちゃこ(及川清華)と役員 ねこ(及川智史)が、立ち上げにあたってのリアルな現実を対談形式でお送りします。
まずは、きっかけの部分から。
子どもと関わりたかった理由
ねこ 子どもと関わりたいって言ってたのは、何がきっかけだったん?
ぽちゃこ 幼稚園が楽しかったから。小学校1年生のときには「幼稚園の先生になろう」って思ってた。それで、小学校高学年のときには、近所の子どもの面倒を見ていて、子供の面倒を見るのが上手ねって言われたのがきっかけ。小学校1年の時は多分、幼稚園でもっと遊びたかったから言ってたんだろうなぁ。
ね それ以降、子どもと関わりたい夢は揺らぐことはなかった?
ぽ なかったねー。教育に興味があった。中学の時の英語の先生が好きだったから、英語の教師になりたいって思ったこともあった。で、高校生の時に虐待の事件のニュースを見て、なぜ虐待が起こるのかの考察をしてたね。
ね 虐待の考察!どんなことを考えたわけ?
ぽ 子どもが幸せに生きるためには、大人が幸せであることが大切だなって思ったの。
ね 確かにね。余裕がないと、子どもを叱ったりしちゃうわぁ〜。
ぽ そうそう!自分が親になったとき、子どもを幸せにできてないって感じたんだよね。でもそれは、自分自身が幸せじゃなかった。
ね ふむふむ、幸せを感じられていなかったんだね。(思い当たる節があるけど)なんで幸せじゃなかったんだろう。
ぽ う〜〜〜ん、自分自身を生きてなかったからからなぁ。
ね それを感じたのはどんなとき?
ぽ えー!だって、全然人生うまく行かないんだもん!!なんか、こうありたいって願うのに、それが叶わないし、叶えられない。
ね そう思った、具体的な出来事は思い出せる?
ぽ 自分の家族(実家含めて)が仲の良い家族だったらいいのにって思ってたのに、自分の気持ちが伝わらなかったりして、諦めがちだったよね。
ね ほ〜、そんなことを感じてたんだ。…(自分の過去と照らし合わせて)あ、ですよねー。
ぽ どうしたら、自分の気持ちが相手に伝わったり、ありのままの自分で生きられるのか。生きられるようになったら、抱えている悩みや苦しさが、いい方向に行くのではないかと私は考えて、徳島にレッツゴーしたんだよね。
ね あの時が一番苦しかったんかねぇ。
ぽ うん、そうだね〜。八方塞がりで、、
ね どこにも居場所がなかった?
ぽ うん。
坂本地区との出会い
ね あのときは、いろいろあったよね。
ぽ なんかでも、3人目が生まれて、一人じゃどうにもならないのに、家族の協力体制もなくて、、、実家で両親と同居してたけど、、、今の精神状態だと、子どもを虐待してしまうと思ったし、虐待してしまうぐらいなら、自分が死んだほうがいいって思ったよね。
ね そんなこと言ってたね。
ぽ (小声で)なんて可愛そうな私。。。
ね ふふふ。笑
ぽ で、自分の心を整えたいと思って、前にFacebookでみた、徳島のTOECフリースクールの、ペアレンツグループに行きたいと思ったんだよね。
ね あ、最初にペアレンツを知ってたんだ。
ぽ はい。2016年?トエックを知った時に、ホームページを読み漁って、達郎さん(*)の本を取り寄せたりしたの。
※達郎さん:TOECフリースクールの代表の伊勢達郎さん。
ね いつの間に!それであの本があったんだ。わずかにそんな記憶があるような。ないような。あれ、最初から徳島に行こうって言ってたんだっけ?
ぽ そう、ねこの仕事がフリーランス(在宅)になったから、ネット環境があればどこでも仕事できるねってなって、TOECに入れるかどうかわからんけど、徳島に行こうってなったんだよね。
ね (もう覚えてね〜)
ぽ (ねことは)本気度が違いすぎるよね、ただ付いてきましたって感じだよね、さーくん(ねこのこと)は。。!
ね はい、ただ付いてきました。坂本の人がすばらすぃぃぃぃぃってなったのは一緒だけどね。なんか都会だと「こどもの声がうるせぇ!!!」って聞こえて来たのが、「こどもの声が、えぇわぁぁ💖」って言われたってのを、ぽちゃこがよく言ってるよね。
ぽ そうだねぇー。なんかもう、坂本は天国だなぁって思った。
(続く)